~歳月人を待たず~

カメラ・写真関連はマイクロフォーサーズとフィルムが好物。ほか雑談が多め。

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無駄に多いおみやげ


【広告欄】

先週末に、大阪にいる親族4人が観光を兼ねて、私がいま住んでいる群馬に遊びに来た。

久々に再開できたこと自体は、喜ばしいことだった。

ただ大いに困ったのは、無駄に多いおみやげ。しかも貰った翌日に消費期限が来る生ものが2つもあった。

普段から小食で、食べ物に当たりやすい体質の私が、ひとりでは到底食べきれない量なので、消費期限が過ぎたら捨てざるを得ない。

作って頂いた方たちにも申し訳ないし、食材ももったいないし、なんてフードロスなんだろう。

本当に勘弁して欲しい。

(結果として、チーズケーキは冷蔵庫保存で消費期限1日過ぎて何とか完食。和菓子は娘夫婦にあげた。)


【目次】


おみやげの起源を 対話型生成AIに聞いてみた

日本のおみやげ文化がいつから始まったのか、最近使い始めた対話型生成AI「Claude」(クロード)に聞いてみた。

※ Claude:アメリカ国防省の軍事転用を最終的に拒否した、Anthropic(アンソロピック)社の対話型生成AI。軍事転用を了承したOpenAIのChatGPTに反対した人々を中心に、シェアが増えつつあるらしい。

情報の出所に関して明記がないものの、江戸時代の「講」と伊勢参りが始まりでは?との回答だった。

まぁ私も江戸時代の伊勢参り辺りからだと認識しているので、概ね誤りではないと思う。

以下、Claudeの出力例を、以下に転載。

おみやげ文化の直接的な起源は**江戸時代(17〜19世紀)**にあるとされています。

当時、庶民が遠方へ旅行できる機会はほぼ伊勢参り(お伊勢さんへの参拝) に限られていました。旅費を村人が積み立てる「伊勢講」という仕組みが普及し、代表者が村を代表して参拝に行く文化が生まれました。

代表者は帰宅時に伊勢神宮のお札や赤福などの名産品を持ち帰り、村人全員に配る慣習が定着。これが「おみやげ」の原型と言われています。

~~~(中略)~~~

戦後の高度経済成長期(1950〜70年代)には、社員旅行・修学旅行・新婚旅行が爆発的に増え、「旅行したら必ず買って帰る」という社会規範として定着しました。

※ 対話型生成AI「Claude」の回答を抜粋

「旅行したら必ず買って人に渡す」なんて 今どきの文化じゃない

おみやげを欲しがっている人がいるのなら、反対はしない。

だけど、頼んでもいないのに勝手に大量のおみやげを買って渡されても、正直困る。

単に個人の好き嫌いだけで済めば良い。

だけど近年は、食物や物質などのアレルギーを持っている人だって大勢いる。

例えば、小麦・そば・牛乳・卵・金属…etc. 挙げればキリがない。

そんなアレルギー症状を持つ人たちに、無神経におみやげを渡す気に、私はなれない。

別の話として、食べ物ではなく、置物などのおみやげは?という意見も聞こえてきそう。

だけど、ただでさえ家の中が散らかっているのに、更に望んでもいない荷物で部屋の空間が狭くなる事態は、私なら御免被りたい。

それに置物は、少しでも現金化すべく、速攻でリサイクルショップに売り飛ばす人もいるかもしれない。

欲しければ自分で買いに行くし食べに行く

講が一般的だった江戸時代ならともかく、現代の旅行では、誰かにお金を出してもらって旅行に行くことは、社員旅行や親孝行など、何かの記念や行事でもない限り、基本的にはない。

講のように金銭的支援も受けていないのだから、支援者や出資者におみやげを買う必要なんて必ずしも必要ないと、私は思う。

(繁忙期や無理・無茶な休みでもないのに「あなたが旅行で休むために私たちは仕事を頑張っていた」なんて事を真顔で言い出すブラックな職場なら、おみやげ以前に、早々に転職した方が良いかも。)

そして何より、見たいものや食べたいものがあれば自分で現地に行くし、欲しいものがあれば自分で買う。

今は江戸時代ではなく、令和時代である。

(個人的に)無駄なおみやげ文化は不要

強制的なおみやげ文化は、アレルギーの方々への配慮も欠いているし、食品の過剰生産・大量廃棄といった、いわゆるフードロスにも繋がるし、お金の無駄遣いでもある。

そのおみやげを買うお金や時間で、旅行先の観光や経済が潤うような行動をしてもらえれば良いかと、私は思う。

あと誰かのための旅行ではなく、自分や同行者自身の旅行のために、お金や時間は使って欲しいと思う。

まあいずれにしても、私個人の戯れ言(ざれごと)と読み捨ててもいいし、あくまでも個人の意見ということで。


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